簡単に分かる、タイの政治(タイについて知ろう-基礎編③)

タイは絶対君主制でしたが、1932年のクーデターで立憲君主制に変わりました。
1997年には民主的な内容を盛り込んだ憲法改正が行われています。

しかしその後、タイでは何度も大規模なデモが起き、

不安定な政治の様子は日本のニュースでも取り上げられてきました。
「タクシン派」「軍事政権」「赤シャツ」…なんとなく聞いていて、よくわかっていない、でも概要くらいは知っておきたい、という方のために1977年以降のタイをまとめました。


 

1997年 憲法改正により、元老院が民選となる。アジア金融危機が勃発。

2001年 タクシン・チナワット氏が首相になる。

2006年 タクシン首相を糾弾する社会運動が拡大。
※タクシン首相は「弱者救済政策」を進めるとし、貧困層や農村部から支持されていました。逆に、既得権益がある層からは、金銭バラマキとの批判が出ました。(タクシン首相の出身が、彼の政策で恩恵を受けた北部だったことも不満を高める原因になったと思われます。)また、不正献金、所得隠し疑惑もあり、不満は高まっていきました。

 

2006年 9月19日,ソンティ陸軍司令官(当時)を中心とする軍部によるクーデターが発生。

2006年 10月に暫定政権発足。

2007年 12月に下院議員選挙が行われ民政復帰(タクシン元首相系)
(→再び反対運動が高まり,反政府運動の中心を担う「人民民主連合(PAD,通称黄シャツ/反タクシン派)」が首相府や国際空港を占拠して混乱状況になる。)

2008年 12月 憲法裁判所は選挙違反を理由に政権与党の国民の力党の解党処分を決定。

2008年 12月 第二党かつ最大野党だった民主党を中心とするアピシット政権樹立。

2009年 反クーデターと選挙に基づく政権樹立を主張する「反独裁民主戦線(UDD,通称赤シャツ/タクシン派)」による反政府運動が拡大。

2010年 2月に最高裁判所がタクシン元首相の資産没収の決定を下したことを契機に,UDDデモが再燃。

4月10日,デモ隊と治安部隊との間で衝突が発生し、90名の死傷者を出す事態が発生した。

5月19日「これ以上の犠牲者を出したくない」とし、UDD幹部による解散宣言。

2011年 5月、下院解散。
7月3日に行われた総選挙の結果,タクシン系政党のタイ貢献党が,民主党に100議席以上の差をつけて勝利

8月10日,タクシン元首相の実妹インラック氏を首相とする政権が発足。

2013年 11月、タクシン元首相の恩赦などを含む大赦法案が強行可決され、多くの反発を招く。それまで安定していた政治情況は一変し、大規模な反政府デモが繰り返される

12月9日,インラック首相は下院を解散。

2014年2月に選挙が行われたが、反政府デモ隊の妨害により一部の投票所で投票が完了しなかった。その後、憲法裁判所は同選挙を無効と判決。

5月7日、憲法裁判所が、公務員の人事異動を巡り,インラック首相の職権乱用を認定する判決を下し、同首相は失職。

5月22日、軍を中心とする「国家平和秩序維持評議会(NCPO)」がクーデターを宣言。

8月25日、国王からの任命を受けて陸軍大将プラユット氏が第37代首相に就任。

 

2016年8月、民主的な政権の樹立に向けた新憲法草案への賛否を問う国民投票が行われた。草案は軍の政治介入を容認し民主主義を後退させる内容が含まれていたが、賛成多数で承認が確実になった。これにより総選挙が17年末にも実施される見通し。

 

 

 

赤シャツとは
反独裁民主戦線(UDD)、タクシン派。国旗に使われている赤(国家、国民の団結心)をシンボルカラーとし、デモの際赤い服を着ていたことから通称赤シャツとなった。
軍部や官界を基盤とした富裕層や中間所得層が国政を支配する体制を、議会の解散や選挙で打破し、民主主義を確立することを目的に活動。
タクシン元首相による「ばらまき政策」の恩恵を受けた、地方出身者が多い。

黄シャツとは
人民民主連合(PAD)、反タクシン派。プミポン国王の生まれた月曜日の黄色をシンボルカラーにして、タクシンが王室を脅かす存在であるとして、国王や王室を守ることを前提として活動。
タクシン元首相による「ばらまき政策」により税を上げられた富裕層・中間層、都心部エリート層が多くなっている。

 

 

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