連載:タイの歴史②

みなさん、タイの歴史ご存知ですか?
前回は、スコータイ王朝が起こる前のインドシナ半島の歴史を振り返ってきましたね。

http://www.sr-de.com/single-post/2016/12/20/tainorekishi-1

第二回の今回は、現在のタイ王国の75%をしめている、タイ人(小タイ族、シャム族)の民族の歴史について考察していきたいと思います。
まず、「小タイ族って?」と思われる方に、タイ人の定義をご説明します。
タイ人のルーツは、中国の南部であり、そこから南西へ移動して雲南省南部の大里のエリアに定住していたと考えられています。現在でも、雲南省西部のミャンマーとチベットの国境付近や、雲南省南部のタイ王国との国境付近に今でもタイ族が住んでおり、タイ人自治区(シーサンパンナ・タイ族自治州や徳宏タイ族チンポー族自治州)となっています。タイ国に住むタイ族からはタイ・ルー族と呼ばれています。
時代が下るとともに雲南省南部から南下し、現在ではタイ王国、ラオス社会主義人民共和国の大部分、ミャンマー連邦共和国、インド共和国の一部に分散しており、このタイ人系の民族の総称を、タイ人(大タイ族)といいます。その中で、チャオプラヤ川流域に住み、今のタイ王国、タイ人を狭義のタイ人(小タイ族、シャム族)として区別して呼称しています。
では、本日は雲南省に住んでいたタイ人がどのようにして、インドシナ半島まで南下してきたのか振り返っていきましょう。
タイ族の歴史は、秦の時代、紀元前215年頃にまで遡ることができます。当時秦の人は、雲南省の地域に住んでいる漢民族以外の民族を「南蛮」と呼んでいました。その「南蛮」の一国で、雲南省南部;保山市近辺にあった都市国家「哀牢(Ailao)国」にタイ人のルーツがあると言い伝えられています。(しかしながら、ここから9世紀までの歴史を俯瞰した時に、南詔国(1世紀ごろ〜9世紀ごろ)がチベット系の民族の国家であったように、哀牢国もチベット系の民族であった可能性もある)。
「哀牢国」が次に歴史に登場するのは、紀元前110年頃、前漢の時代になります。前漢の武帝は仏教の経典調査団をインドへ派遣しようとしていました。その通り道にある「哀牢国」の国王が通過を許可しなかったため、「哀牢国」と前漢は対立しました。「哀牢国」は、前漢相手に善戦しましたが、紀元前87年に滅亡しました。その後、紀元9年に再び独立しましたが、これも長くは持たず、紀元50年に後漢により再び滅ぼされ永昌郡が置かれました。その後しばらくの間南蛮地域についての歴史は数世紀途絶えます。
再び歴史に雲南省南部が登場するのは、7世紀頃。6つの連合王国が雲南省の大理盆地に建国され、六詔国と呼称しました。これは、烏蕃族が支配者層とみられていおり、建国当初から唐に対し友好関係を築くべく貢物を贈っていたとされています。その後、王国は統一され、南詔国となり最盛期にはベトナムのハノイ近くまでに領土を広げています。しかし902年にクーデターにより、南詔王国は滅亡、続いてこの地を支配したのは、大理国です。937年に白蛮(現在の白族)の段思平が南詔の後継国家である大理国を樹立し、しばらくの間はタイ族もその傘下に収まっていました。
このように2世紀以降、雲南の支配権を取れなかったタイ族の一部は徐々に南下し、今の中国とタイの国境付近の山岳地帯やメコン川の上流流域に居を構えていました。
今回は、タイ人のルーツを探っていきました!その結果、タイ人の歴史も実は日本人と同じくらい歴史があることがわかりました(日本人も初めて登場する歴史書は漢書地理志:前漢時代)!
次回は、ついにタイ人が現在のインドシナ半島中部に進出します。乞うご期待!!

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